演題 「当たり前の日々は奇跡の連続」 講師 池田 かおり氏 【交通死亡事故ご遺族】
5/12(日)山口市KDDI維新ホールにおいて「公開講座」を開催いたしました。
講演は、絵本《そらがわらったよ》(池田かおり氏作)の朗読で始まり、読み聞かせの後、家族のメモリアル動画が流されました。
以下は講演内容の抜粋です
私には娘が4人、息子が1人いまして、上から22歳、19歳、16歳、その下に6歳の陽菜がいます。
絵本に出てきた赤ちゃんが、今年小学校2年生です。
私はごく普通の家庭で育ち、独身の間は看護師として働いていました。27歳で結婚。優しくて頼りがいのある主人、そしてかわいいやんちゃな子どもたちに囲まれて、幸せな日々を送っていました。
そんななか、あの事故は起こりました。いつもの金曜日でした。
学校から帰宅した陽菜が友達と遊びに出かけて10分後くらいだったと思います。学校の担任の先生から電話がかかってきました。「お母さん、陽菜ちゃんが交通事故に。一緒に現場に行きましょう。」という知らせでした。
事故現場に陽菜の姿はなく、ピンクの自転車が倒れているのが目に入りました。陽菜の自転車でした…。そばにいた警察官に尋ねると、救急車で病院に運ばれた、とのこと。容態は?その問いかけに…心肺停止…という言葉が返ってきました。
どうしてこんなことが…そう思いながら急いで主人に電話をし、上の娘たちを連れて病院へと向かいました。病院に着き処置室に入れてもらうと、そこには眠ったように目を閉じた陽菜が人工呼吸、心臓マッサージの処置を受けていました。
事故から約2時間が経つ頃、「陽菜ちゃんよく頑張ったけど、もう楽にしてあげようね。これ以上はきついよね。」先生が陽菜にそう語りかけています。娘たちは「嫌だ。陽菜はまだ生きてる。」そう言って泣き崩れています。私自身も、全身の血液が逆流するような、立っていられないような感覚。しかし、同時に妙に冷静な自分もいました。
陽菜が苦しいなら、早く楽にしてあげたい。そして、陽菜はまた生まれ変わってきてくれる。私たち家族のところに帰ってきてくれる。自分にそう言い聞かせ、「陽菜、みんな待っているからね。お父さんお母さんのところに帰ってきてね。」そう呼びかけました。
陽菜の葬儀は事故から3日後に行われました。
それから間もなくして、私は陽菜の絵本を作りたい、という思いが浮かびました。
陽菜が約7年間を元気いっぱいに生きたこと、そして今は覚えていても、5年10年経つと忘れてしまうかもしれない陽菜のことを、絵本という形に残してそれを陽菜にプレゼントしてあげたいな、と思ったのです。
毎日少しずつの作業でしたが、今思うと、陽菜のことを思い、絵本のことに集中し、自分の手で形にしていく、その時間が私自身の癒しになったようでした。
そしてある時、陽菜の担任の先生が、学校での作品などを持って来てくださいました。その中の一つの文章に目が留まりました。それは、何でもいいから思うことを書くようにという、一年生一学期の平仮名のお勉強だったようです。そのわずか34文字の平仮名ばかりの文章にはこう書いてありました。
『わたしは、ゆうえんちにいくことがすきです。みんなのえがおがみれるからです。』
これを見た時、陽菜すごいなと思ったのです。まだまだ小さな子どもだと思っていたのに、周りの気持ちを考えていたのです。
人は何をした、こんないいことをしている、こんなすごいことをしている、という目に見えるものにとらわれがちですが、実はどんな心でそのことをしているのか、という部分がすごく大事なのです。
陽菜はすごく大切なことを私たちに気付かせてくれました。朝起きて、主人がそばにいること。子どもたちが眠そうに、でも、元気に起きてくること。他愛のない話をしながら、朝食を摂ること。バタバタと慌ただしく、学校や仕事に行き、そして、ただいま、と無事に帰ってくること。そのひとつひとつが、幸せだな、と感じます。私はいつも、この幸せな日々のことを、当たり前の日々は奇跡の連続、と言っています。
今回、この小さな交差点で起きた事故により、尊い命が失われました。一瞬の事故で、一人の未来が消え、本人だけでなくその周りの人も大きな悲しみを味わい、人生が変わってしまいます。
私たち夫婦は、被害者も加害者も出さない世の中に近づくことを願い、こうした講演活動をさせていただいています。
私たちの人生には、いつ、誰に、何が起こるのかわかりません。だからこそ、奇跡の連続であるこの素晴らしい毎日を大切に、周りの人も共に笑顔になれるように過ごしてほしいと思います。